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ページID:88701更新日:2019年2月5日

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縄文人は壊すのがお好き?

水煙把手土器に関するトピックス

0002甲ッ原遺跡-埋甕-2005年5月25日~2005年6月1日

0009横針前久保遺跡-石器-2005年7月13日~2005年7月19日

0018金生遺跡-中空土偶-2005年9月14日~2005年9月20日

0031天神遺跡-硬玉製大珠-2005年12月14日~2005年12月21日

0050天神遺跡-石匙-2006年5月24日~2006年6月8日

0236天神遺跡-日本最古のヒスイのペンダント-2010年5月6日~2010年5月12日

0336天神遺跡-集落跡-2012年5月2日~2012年5月8日

0057丘の公園第2遺跡-石器-2006年7月19日~2006年7月25日

0134丘の公園第2遺跡ほか-陥し穴-2008年3月19日~2008年3月26日

0075原町農業高校前遺跡-縄文土器-2006年12月13日~2006年12月20日

0076原町農業高校前遺跡-縄文土器-2006年12月20日~2006年12月28日

0109原町農業高校前(下原)遺跡-陥し穴-2007年8月29日~2007年9月4日

0115原町農業高校前遺跡-人面装飾付土器-2007年10月18日~2007年10月24日

0137原町農業高校前遺跡-人面装飾付土器-2008年4月23日~2008年4月29日

0094清里バイパス第1遺跡-陥し穴-2007年5月9日~2007年5月16日

0112海道前C遺跡-人面装飾付土器-2007年9月19日~2007年9月26日

0254海道前C遺跡-抽象文土器-2010年9月8日~2010年9月14日

0138甲ッ原遺跡-縄文時代前期初頭の住居-2008年4月30日~2008年5月7日

0142金生遺跡-耳飾り-2008年5月28日~2008年6月4日

0169甲ッ原遺跡-石皿とすり石-2008年12月3日~2008年12月10日

0212甲ッ原遺跡-琥珀垂飾について-2009年10月28日~2009年11月5日

0294甲ッ原遺跡-漆が塗られた土器片-2011年7月6日~2011年7月12日

0405甲ッ原遺跡-特殊脚付鉢-2014年10月29日~2014年11月25日

0226塩川遺跡-中世の調理器具-2010年2月17日~2010年2月24日

0473塩川遺跡-江戸時代の死者の眠り方-2017年10月20日~2017年11月28日

0237酒呑場遺跡-マメの圧痕-2010年5月13日~2010年5月18日

0308酒呑場遺跡-火焔型土器-2011年10月12日~2011年10月19日

0316酒呑場遺跡-産まれる縄文人-2011年12月7日~2011年12月12日

0319酒呑場遺跡-海へのあこがれ-2011年12月28日~2012年1月4日

0239甲ッ原遺跡-縄文時代前期初頭の住居跡と土器-2010年5月26日~2010年6月1日

0271金生遺跡-鉄釉兎形水滴-2011年1月5日~2011年1月11日

0272中込遺跡-絡条体圧痕文土器-2011年1月12日~2011年1月18日

0315郷蔵地遺跡-敷石住居-2011年11月30日~2011年12月6日

0323金生遺跡-縄文ランドスケープ-2012年1月25日~2012年2月1日

0328酒呑場遺跡-酒呑場遺跡で見つかった『謎』の土器片-2012年2月29日~2012年3月6日

0399酒呑場遺跡-豊かな縄文時代中期文化を代表する683点の出土品-2014年8月6日~2014年8月19日

0338柳坪遺跡-縄文時代中期の土器-2012年5月15日~2012年5月24日

0377丘の公園14番ホール遺跡-長大な石槍で狩りをする人々の15000年前の石器作り工房跡-2013年7月24日~2013年8月7日

0380日影田遺跡-住居跡と炉-2013年9月11日~2013年9月26日

0423横森赤台遺跡-五輪塔を伴う中世のお墓-2015年8月20日~2015年9月1日

0485甲ッ原遺跡の獣面把手土器~水煙把手土器

0491原町農業高校前遺跡「壊すのがお好き」2019年2月

 

 

遺跡名:原町農業高校前遺跡

所在地:北杜市長坂町塚川177ほか

時代:縄文、平安

報告書:2005原町農業高校前遺跡(第2次)―峡北地区総合学科高校整備(北斗高校グランド整備)に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書―

調査主体:山梨県教育委員会

 

「縄文時代」と「壊す」という二つの言葉を並べると多くの人が「土偶」を連想すると思います。これは「土偶は壊すために作られた」という一つの解釈が、いつの間にか土偶の役割を代表するような解釈にされてしまった結果です。この解釈は諸説の一つに過ぎないことを忘れてはいけません。土偶が「壊されるもの」か「壊れるもの」かを細かい観察を積み重ね、土偶の「故意破損」を否定した岩手県の金子昭彦さんの研究などは高く評価されるべきものでしょう。

実は、土偶に限らず縄文人は、物を壊すことにこだわりをもっていたようです。土偶などよりも遙かに多くの数が発掘されている縄文土器も99%以上のものが、どこかしら欠けた状態で見つかります。明らかに叩いて壊されていたりするものもあります。今回はその実例を北杜市の原町農業高校前遺跡の発掘調査から見てみましょう。

遺跡全景

原町農業高校前遺跡(手前)

遠くの雪山は甲斐駒ヶ岳、その手前の丘陵は中山砦跡

 

 

有孔鍔付土器

写真1

断面図

土坑断面図

原町農業高校前遺跡は八ヶ岳南麓の標高約620mの尾根上に立地しており、縄文時代中期中葉を主として中期末までの住居跡が99軒発見されました。

写真1は住居跡の中に掘り込まれた土坑の中を写したものです。高さが60cm近い大型の有孔鍔付土器が横たえられて、その脇には高さ約30cmの深鉢形土器が有孔鍔付土器と土坑の壁の間に挟まれて潰れていました。両者とも欠損部分が無く完全な形でしたが、有孔鍔付土器は土坑に入れた後に体部中央に一箇所一撃を加えて破壊した痕跡が見られました。さらに付け加えると、これら2個体の土器は土坑の底面から10cm以上浮いた状態で発見されています。土坑の底に密着していないのが不思議なことです。

 

写真2

写真2

断面図2

土坑断面図

写真2も住居跡の中に掘り込まれた土坑の画像です。顔の表情が表現されていない珍しい人面装飾付土器が横たえられていましたが、この土器の底部の縁は一撃を加えられて穴が開けられていました。この土器も土坑底面から20cmほど浮いた状態で発見されました。

 

 

写真3

写真3

断面図3

土坑断面図

写真3も住居跡内の土坑です。高さ約40cmのほぼ完全な形の深鉢形土器が土坑の中に横たえられていました。この土器は前の二つの例とは異なり土器が破壊された痕跡はありません。ただ破壊の程度がヒビが入る程度の軽度のものでしたら現代の研究者には識別できません。そして、やはりこの土器も土坑の底面から20cmほど浮いた状態で発見されました。もともと完全な形の壊れていない土器を土坑に入れたのか?というと難しい問題です。この土器の回収は丁寧に行われましたが復元してみたところ、数箇所で小さな破片が見つからずに穴が出来てしまうところがあったのです。僅かに破損した土器を土坑に入れた可能性もあります。

 

以上のように「土坑に土器を入れて壊す」あるいは「土坑に壊した土器を入れる」というような行為を縄文人は行っていたようですが、土器以外でも「壊す」ことは行われていました。たとえば中期後半の住居跡では炉を形作る4枚の平石の一部をわざわざ抜き取り放置したりする例が多く見られます。

 

今回見た土坑内の土器の状態のように、遺構の底から浮いた状態で土器が発見されるという例は、実は縄文時代中期では普通の住居跡でも普通に見られる現象です。なぜ遺構がある程度土で埋もれた状態で土器を置いているのか?この問題は実は半世紀近くも前から議論されてきましたが、未だに決着を見ない謎です。

 

「その遺物(土器や土偶)は、なぜ今そのような状態で出土するのか?」

 

この問題は考古学では基本でありとても重要です。土器にせよ土偶にせよ、壊したのか壊れたのかを議論する前に、個々の発見された状態を正確に検証し、縄文人の行動を可能な限り再現しないと謎は解き明かせないでしょう。

 

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