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更新日:2015年10月1日

県民の日とは?

 県民の日

11月20日は県民の日です。

県民が郷土について理解と関心を深め、ふるさとを愛する心をはぐくみ、共に次代に誇りうるより豊かなふるさと山梨を築きあげることを期する日として、「県民の日」が設けられました。

 なぜ11月20日が県民の日?

明治4年11月20日は、それまでの甲府県を山梨県と改めた日です。「県民の日」はこの日を記念して決めたものです。

現在使われている暦(こよみ)は、「太陽暦(たいようれき)」という暦で、明治5年12月3日を明治6年1月1日とする、という形で実施されました。明治4年11月20日は「太陽暦」に直すと、12月31日に当たりますが、県民の日は古い暦の日づけで決められました。

 明治維新から山梨県誕生まで

あらすじ

年月

できごと

明治元年(慶応4年)3月

東海道副総督参謀が甲府に入り、国事を代行

明治元年(慶応4年)6月

甲府城代を廃して、鎮撫府を設置

明治元年11月

鎮撫府を廃して、甲斐府を設置

明治2年7月

甲斐府を廃して、甲府県を設置

明治3年5月

甲府県に田安領を併合

明治4年11月

甲府県を山梨県と改称

明治維新の頃の日本

徳川幕府は、徳川家康が征夷大将軍となって、江戸(現在の東京)に幕府を開いた1603年から第15代将軍徳川慶喜まで264年続きましたが、開港を迫る西洋諸国との対応などによって、力を失って時の天皇に政治の権限を返すことになりました。

これが、大政奉還(たいせいほうかん)・王政復古(おうせいふっこ)といわれる日本の新しい時代への出発点です。

大政奉還の翌年に当たる1868年、天皇を中心とする明治新政府が誕生し、元号も慶応から明治と改められ、日本は近代国家としての歩みを始めます。

そして、西欧列強に対抗できる近代的な中央集権国家を目指して、国内の藩(はん)の制度を廃して、全国に県の制度を置くことにしました。これが廃藩置県(はいはんちけん)です。

山梨県の誕生

明治維新から山梨県が誕生するまでには、つぎのようなめまぐるしい歴史の動きがありました。

明治元年(1868、慶応4年)

3月:維新政府は、徳川幕府を武力で倒すために、京都から江戸へ向けて三方から進軍を開始しました。その中で、参謀板垣退助に率いられた東山道総督軍が甲府に入り、徳川幕府の重要な拠点であった甲府城を鎮定しました。そして、幕府の出先機関であった甲府勤番役所で、明治新政府の仕事をすすめました。

 

6月(鎮撫府設置):明治新政府が誕生しても、まだ幕府の影響が残っていたり、百姓一揆なども起こり、新しい政治に従わない人々もいました。甲斐の国内ではそのようなことは起こりませんでしたが、全国的に鎮撫府(ちんぶふ)を設置することにしました。

 

11月(甲斐府設置):鎮撫府が廃止され、新しく甲斐府が設置されました。新政府は滋野井公寿(しげのいきんひさ)を知府事に任命して、政治の仕組みも甲府に市政局、市川と石和に郡政局を置きました。

明治2年(1869)甲府県設置

7月:設置以来およそ8カ月のあいだ政治をすすめてきた甲斐府は、甲府県と名を改めました。

明治3年(1870)田安領併合

5月:幕末の甲州は大部分が幕府直轄領(天領)でしたが、ほかに徳川御三卿(ごさんきょう)の一つ田安家の領地103ヶ村4万8000石がありました。旧幕府直轄領は明治2年7月に新政府直轄の甲府県となりましたが、明治2年10月田安領では天朝御領編入を求める一揆が起こりました。その結果田安家は領地返上を新政府に申し出、田安領は甲府県に併合されました。ここで甲斐国一円を区域とする現在の山梨県と同じ形ができあがりました。

明治4年(1871)山梨県誕生

7月:明治新政府は新しい時代の基礎が囲まったとして、徳川幕府時代の政治の仕組みであった、全国の藩の制度を改め、県の制度を敷く廃藩置県を実施しました。

 

11月:廃藩置県により、それまでの甲府県が山梨県と改められ、現在の山梨県の誕生となりました。

 山梨県と名付けた理由

廃藩置県の断行で、明治政府が各県の名称を決めるとき、明治維新の戦いで朝廷側についた藩は旧藩名を県名として使用し、幕府側についた藩およびそのほかは、新しくその地域の郡名や山川名を県名とするよう方針がだされました。

  • A.旧藩名を県名とした例-鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県など
  • B.新しくその地域の郡名や山川名を県名とした例-佐倉藩→千葉県、小田原藩→神奈川県、山梨郡→山梨県など

甲斐国は、徳川幕府の天領であったため藩の制度はなく、明治政府誕生に功績がなかったので、上記の例のうちB.の取り扱いを受けて当時の甲斐国の中心であった甲府が属していた、当時の「山梨郡」をもって県名としたといわれています。

甲斐の四郡と現在の山梨県

甲斐の国は往古から明治11年(1878)まで国内を四つに分けて、山梨・八代・巨摩・都留の4郡でしたが、この年の12月に4郡を9つに分けました。県都甲府市の誕生は明治22年ですから、その当時は西山梨郡に属していました。

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