更新日:2017年12月14日

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KSC0044

県指定 有形文化財(考古資料)

小井川遺跡出土五輪塔部材

  • 小井川遺跡出土 五輪塔部材 六点(こいかわいせきしゅつど ごりんとうぶざい 6てん)

平成29年9月7日 指定

員数 6点(地輪 4点、火輪 2点)

所在地 山梨県立考古博物館(甲府市下曽根町923)

所有者又は管理者 山梨県立考古博物館

 

 小井川遺跡は、甲府盆地のほぼ中央に位置し、釜無川・常永川などが形成した扇状地末端に近く、南東に傾斜する緩傾斜地となっている。この辺りの遺跡には、平安時代の平田宮第二遺跡、平安時代~中世の上窪遺跡などがあり、竪穴住居跡や井戸、水田、畑、水路、堀、墓跡などが発見され、古代より人々の居住地や生産活動の場となっていた。

 小井川遺跡では鎌倉時代末の五輪塔などの石造物、15世紀後半~16世紀前半に比定される礎石建物群、掘建柱建物、陶磁器・木製品や石造物などが発見され、鎌倉時代の五輪塔部材からは中世の布施荘に関係する紀年銘や墓碑あるいは供養塔銘が検出された。

 各五輪塔部材は、寺院跡と想定された建物の礎石、及び建物を取り巻く水路・池の護岸施設等に使用された遺物である。六点の五輪塔部材はいずれも完形ではなく、各五輪塔の部材がそろっているものではない。また、15世紀後半~16世紀前半の大型建物遺構に伴う付属屋礎石や、周囲をめぐらす水路・池状遺構の縁から出土した橋の土台などの転用材であるが、こうした部材がこの場所に転用されていることは、その規模・重量から、この地がもともと五輪塔を建立した場所か近接地であったことを物語っている。

 また、これらの石材は五輪塔の形式や石材から判断すると、いずれも鎌倉時代末に属するもので、その帰属年代は「延慶三年」(1310)と「正和四年」(1315)の二点の紀年銘地輪により証明されるほか、五輪塔の形式研究などにも矛盾しない。これら在銘地輪が墓碑か追善供養塔のものかは明らかではない。

 なお、「延慶三年」銘は、県内五輪塔銘では最古と思われる。また「二藤布施兵□忠光」銘は、この人物が「布施荘」の現地に居住していたため「布施」を名乗った人物と想定できる。二藤は『姓氏家系大辞典』「二藤」の項に、「東鑑文治六年(1190)条に大河兼任の弟、二藤次忠季あり、二井田の藤原次郎の意かという。また、東鑑二十五に「二藤太三郎」を載せたり」とあり、藤原氏の系統の可能性を指摘している。このことから、本石造物の人物名も、藤原氏の一族と推定し、忠光は「五辻中将藤原忠氏」の「忠」の一字を用いているとすると、忠氏の近親者または配下で、「二藤忠光」が甲斐・布施荘の荘官として下向していた可能性も想定できる。以上、この地輪が中央市布施地内から出土した意味は大きい。

 このように、出土五輪塔の部材と紀年銘や人物銘等は、甲斐国「布施荘」の歴史を紐解くうえで貴重な有形文化財(考古資料)である。

〈見どころ〉

・表面に中世の布施荘荘園に関する紀年銘や人物銘等が記されており、この五輪塔が発見された中央市布施の歴史を紐解くうえで貴重な資料です。

・また「延慶三年」(1310)の銘は、県内五輪塔銘では最古のものです。

 

 

 

 

 

 

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