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更新日:2009年2月16日

一の沢遺跡出土品(国指定・考古資料・縄文時代)

  一の沢1

指定区分:国指定重要文化財(考古資料)

指定名称:一の沢遺跡出土品一括

(いちのさわいせきしゅつどひんいっかつ)

指定年月日:平成11年6月7日

出土地:笛吹市境川町大黒坂(指定当時、東八代郡境川村)

一の沢遺跡(いちのさわいせき)

所有者:山梨県(県立考古博物館)

概要

この資料は東八代郡境川村にある一の沢遺跡から出土したものです。この遺跡は、昭和 57年以降、複数次に亘って畑地灌漑用水設置や道路拡張工事に伴う発掘調査が県教育 委員会・境川村教育委員会によって実施されてきました。調査の結果、この遺跡は甲府盆 地を代表する縄文時代中期(約5000年前)のムラの跡を中心とする遺跡であることが解り、併せて縄文土器や石器など多数の出土品が発見されました。

今回、指定された出土品は深鉢形土器・浅鉢形土器・有孔鍔付土器などの土器25個、 土偶・耳飾などの土製品44個、磨製石斧・打製石斧・石鏃(矢じり)・磨石・石皿などの石製品107個の合計176点に及びます。

特に縄文土器については、大きな把手と屈折した器体が特徴的ないわゆる「トロフィー 形」の深鉢形土器、立体的に抽象化されたイノシシやヘビの文様で装飾された土器などが 多数あり、山梨県周辺のみならず全国的に見ても際だった造形美があり、縄文土器造形の到達点を示すものと高く評価されていています。

一の沢遺跡出土品は、その美しさや優れた造形技術もさることながら、縄文時代中期の 人々の生活(狩猟・漁労・採集・調理・祭祀など)の様子を鮮やかに再現できる学術的価値の高い資料であることから、一括して重要文化財に指定されることとなったものです。

なお、指定された資料は山梨県立考古博物館で展示公開されております。

〔出典: 『教育やまなし』No.188 199(H11).9.10〕

権現堂遺跡出土の泥塔一括(県指定・考古資料・平安時代~)

 権現堂泥塔1 権現堂2

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:泥塔一括1088点(でいとういっかつ1088てん)

指定年月日:平成8年11月7日

出土地:南巨摩郡増穂町舂米(権現堂遺跡)

所有者:増穂町

概要

この泥塔は、南巨摩郡増穂町舂米の南山中腹にある権現堂遺跡から発見されたもので「泥塔」(でいとう)と呼ばれるものです。12cmほどの小さな素焼きの土製品で、その数は1088点にもおよびます。

泥塔は平安時代から鎌倉時代にかけて武士などの人々によって行われた泥塔供養という儀式のために作られました。

この儀式は、泥塔を大量生産し供養することで、天下泰平や病気快癒などの願い事をかなえようと仏教の厳格な作法のもとで行われたと考えられています。

供養の作法は泥塔の作り方から儀式まで定められていたようですが、具体的な方法が確認されたことはほとんどありませんでした。しかし、権現堂遺跡では泥塔を焼いた窯跡や廃棄場所が発掘調査され全国的な注目を集めました。

この泥塔に、どのような願い事が込められていたのかなどの点はまだ不明ですが、平安時代末期(約800年前)の習俗や宗教を考えるためのヒントを与えてくれる貴重な資料であるといえます。

〔出典: 『教育やまなし』No.182 1998(H10).3.10〕

大坪遺跡出土刻書土器(県指定・考古資料・平安時代)

 大坪遺跡

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:大坪遺跡出土刻書土器(おおつぼいせきしゅつどこくしょどき)

指定年月日:平成14年7月4日

出土地:甲府市横根町反田(大坪遺跡)

所有者:甲府市

概要

この刻書土器は、甲府市東部の大坪遺跡から出土した皿形の土師器です。大きさは、底の直径で 7.6センチメートル。惜しくも周辺は欠損しているため、本来の正確な大きさは不明です。

平安時代の前半頃(約1100年前)の甲斐国では、甲斐型土器と呼ばれる特色のある土器が、日常の食器とし て用いられていました。粘土で成形したものを焼き上げる前の、生乾きの段階でよく磨き、丁寧に仕上げると ころに特徴があります。特にこの土器には、この磨き仕上げの時にヘラのような道具で「甲斐国山梨郡表門」 の八文字が書き込まれています。これは当時のこの地域の地名であり、「表門」は”うわと”と読み、現在の 和戸の地名につながるものと見られます。

昭和57年に当地を流れる十郎川の旧河床に相当する場所から出土したこの土器は、古代の律令制で定めら れた国─郡─郷と位置づけられた地方制度を実際に裏付けるたいへん貴重な資料で、どのような経緯で当時の 地名が書き込まれたかなど興味が尽きないものといえます。

〔出典: 『教育やまなし』No.203 2003(H15).6.10〕

木製農具など(身洗沢遺跡出土品)(県指定・考古資料・弥生時代)

 身洗沢遺跡

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:木製農具・木製剣・皮綴部材7点(身洗沢遺跡出土品)

(もくせいのうぐ・もくせいけん・かわとじぶざい7てん(みあらいざわいせき))

指定年月日:平成8年11月7日

出土地:笛吹市八代町南(指定当時、東八代郡)

所有者:山梨県(県立考古博物館)

概要

この資料は笛吹市八代町にある身洗沢(みあらいざわ)遺跡から出土したもので、弥生時代後期の水田や洪水で堆積した砂の中から発見されました。

発掘調査で出土するものには、土器や石器が多いのですが、低湿地の遺跡では木製の道具が良好な状態で出土することがあります。中でも種類が豊富なのは農具で、弥生時代の初め、わが国に稲作が伝わった当初から、その土地にあった農具の改良が行われ、地域によって様々な形態があり、機能も細かく分かれていました。

身洗沢遺跡で出土した農具は、本県の弥生時代の農具の実態をはじめて明らかにしたもので、鍬や又鍬(またぐわ)、土をならし平にするための柄振(えぶり)、枝の分岐を利用して作られた鍬の柄があります。また木製の剣は、稲作にともなう「まつり」に使われたものと考えられます。皮綴(かわとじ)部材の用途は不明ですが、弥生時代の技術の高さを知るうえで、たいへん貴重なものといえます。

なお、この木製品は県立考古博物館で展示公開されています。

〔出典: 『教育やまなし』No.193 2000(H12).12.10〕

下大内遺跡第225号土坑出土品(県指定・考古資料・弥生時代)

 下大内遺跡

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:下大内遺跡第225号土坑出土品一括

(しもおおうちいせきだい225ごうどこうしゅつどひんいっかつ)

指定年月日:平成10年12月10日

出土地:北杜市明野町上手(指定当時、北巨摩郡明野村)下大内遺跡

所有者北杜市

概要

この資料は北巨摩郡明野村の下大内遺跡から発見された弥生時代の初め頃のお墓である「再葬墓」(第225号土坑)からの出土品です。

「再葬墓」とは弥生時代の初め頃の東日本で行われた特異な葬り方であり、死者を一度埋葬し、骨だけになった後に、土器などに再び入れ直して埋葬するものと考えられています。山梨県からもいくつか類例が発見されていますが、下大内遺跡ほど明瞭なものは見られません。

土器の高さは78cm、最大径52cmの大型の壷で、骨を納めた容器と考えられます。壷の口を封じるかのように置かれていた土器片や壷の中に副葬されていた打製石斧・黒曜石破片などです。

これらの出土品は、弥生時代の人々による死者の葬り方やその背景を考えるために貴重なものであり、一括して保存・活用されることとなったものです。

なお、下大内遺跡第225号土坑出土品は、明野村埋蔵文化財センターで見学することができます。

〔出典: 『教育やまなし』No.186 1999(H11).3.10〕

記事中の北巨摩郡明野村は、町村合併により北杜市明野町となっています。

また明野村埋蔵文化財センターは、北杜市明野埋蔵文化財センターです。

湯之奥金山道具及び関連資料(県指定・考古資料・中世~)

 湯之奥金山

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:湯之奥金山道具及び関連資料一括

(ゆのおくきんざんどうぐおよびかんれんしりょういっかつ)

指定年月日:平成14年3月4日

出土地:南巨摩郡身延町湯之奥(指定時は西八代郡下部町)湯之奥金山遺跡

所有者:身延町

概要

湯之奥金山遺跡(ゆのおくきんざんいせき)は、中山、内山、茅小屋(かやごや)の三金山の総称です。

湯之奥金山の鉱山道具などは、金採取技術の歴史的経過を見ることができる資料です。まず初期の金山経営では、露頭の風化した鉱石を採掘していたため、鉱石を紛成(こなし)する道具は原始的でしたが、坑道掘りで採掘しはじめると鉱石は堅く、紛成する道具が必要となってきました。そこで出現したのが、穀臼を転用して鉱石を紛成する「臼」や、小粒の鉱石を入れる「ふね」、紛成された泥状態から金を採る「せり板」でした。

とくに出土した「臼」は、初期段階では磨り臼が使用され、二段階では挽き臼が出現し、三段階になると中心に供給口を持たせ、効率を高める形に変化してきたことが明らかにされました。

これらの道具は、日本における山金採掘の初源的な金山道具であり、また鉱山道具からは、技術の伝播や発展段階を知ることもできる重要な遺物です。

〔出典: 『教育やまなし』No.199 2002(H14).6.10〕

天神堂遺跡出土品(県指定・考古資料・旧石器時代)

 天神堂遺跡

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:天神堂遺跡出土品 附・第一礫群保存資料

(てんじんどういせきしゅつどひんつけたり・だいいちれきぐんほぞんしりょう)

指定年月日:平成16年5月6日

出土地:南巨摩郡南部町万沢

所有者:南部町

概要

この考古資料は、南部町の万沢小学校敷地から出土した、ナイフ形石器などからなる旧石器時代の生活資料です。昭和45年に行われた発掘調査の中では、本県で初となる旧石器時代の集落の様子が明らかにされました。

出土した多くの石器は、いくつかの種類の石材で作られていますが、代表的な黒曜石製の石器は、最近の理化学的な手法による分析結果から、長野県諏訪地方北部から産出する原石から作られていることが分かってきています。持ち運べる大きさの黒曜石をはるばる当地まで運び込み、ここで一つひとつの石器に加工していったとが分かってきたのです。

また礫群と呼ばれる焼けた川原石のまとまりも十数カ所あったことが確認されていますが、これは河原から拾ってきた石をたき火で焼き、その余熱で調理をしたことを物語ると考えられるものです。

実際に出土した礫群をそのまま切り取って保存をしているものを含め、文化財指定をされた石器群ですが、一万数千年前の本県最古の暮らしの様子が具体的にたどれる貴重なものであり、一部は県立考古博物館で展示公開されています。

〔出典: 『教育やまなし』No.209 2004(H16).12.10〕

この記事の中では南巨摩郡南部町は、平成16年の町村合併以前は富沢町でした。

桂野遺跡出土大形深鉢(渦巻文)土器(県指定・考古資料・縄文時代)

 桂野遺跡

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:桂野遺跡出土大形深鉢(渦巻文)土器

(かつらのいせきしゅつどおおがたふかばち)

指定年月日:平成14年7月4日

出土地:笛吹市御坂町上黒駒(指定当時、東八代郡御坂町)桂野遺跡

所有者:笛吹市

概要

この大形深鉢土器は、甲府盆地の東南に位置する御坂町上黒駒地内の標高500メートルの場所で、昭和30年に農道工事が行われた際に発見されました。

この土器の特徴は、表面に施された渦巻文にあり、縄文時代中期後半(約4300年前)を代表する土器の一つです。

このように土器の胴部全体にさかまく水の流れを写したような渦巻きが施されたのは、他に例がなく、その造形は早くから原始美術の一頂点として高い評価を与えられています。

現在残っている部分での高さは54センチメートル、最大幅は33センチメートル、底の直径は15センチメートルと縄文土器の中では大きな部類に入ります。

土器の上の部分は欠けており、もとの姿を推定すると、さらに大きく、およそ80センチメートルくらいの高さのものであっったと見られます。

写真では見えませんが、実はこの土器の底面には、長さ2センチメートルの穴が開けられており、口の部分も打ち欠かれていることから、埋葬用としてつかわれた可能性が考えられています。

〔出典: 『教育やまなし』No.205 2003(H15).12.10〕

この記事の出た時期は、東八代郡御坂町でしたが、平成16年10月12日の町村合併により、現在では、所有は笛吹市、出土地は笛吹市御坂町上黒駒となっています。

棲雲寺開山墓出土常滑甕(県指定・考古資料・中世)

 棲雲寺

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:棲雲寺開山墓出土常滑甕

(せいうんじかいざんぼしゅつどとこなめかめ)

指定年月日:平成19年4月26日

出土地:甲州市大和町棲雲寺

所有者:棲雲寺

概要

本資料は、県指定棲雲寺開山墓の下部から出土した大甕で、破片資料として県教育委員会が保管し、昭和57年に復元された後、棲雲寺に納められたものです。

開山墓は、棲雲寺開山の業海本浄禅師の入滅(1352年)の翌年に建立された宝篋印塔で、その塔下から常滑焼の甕が確認されました。発見時には、甕の内部に若干の骨片や、副葬品と思われる古銭の出土もあったとされていますが、埋設状況等の詳細は分かっていません。

常滑焼の甕は、高さ68.3cmを測り、自然釉がみられ、広口の口縁で折端は厚く、肩の張りは大きい特徴があります。また、肩部には「天」の文字のスタンプ文が4箇所に押されており、これについては窯印(焼成した窯のマーク)とはせず、棲雲寺の山号である天目山の「天」を押捺したものとして、棲雲寺の特注品であった可能性も考えられています。

出土状況から、蔵骨器としての機能、納められた人物等の特定が把握できる重要な事例で宝篋印塔下からの出土品として不離一体であり、14世紀の常滑焼編年の基準資料として、実年代が特定できる極めて貴重な資料とされています。

〔出典: 『教育やまなし』No.219 2007(H19).6.10〕

 

深山田遺跡青銅鋺14口(県指定・考古資料・中世)

 深山田遺跡

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:深山田遺跡青銅鋺14口(みやまだいせきせいどうせいわん)

指定年月日:平成18年4月27日

出土地:北杜市(旧明野村)

所有者:北杜市

概要

本資料は、平成10年(1998年)に北杜市(旧明野村)教育委員会により、県営圃場整備事業に伴う発掘調査で出土した、中世(13世紀~14世紀)の密教法具です。

深山田遺跡は、県北西部、茅ヶ岳西麓端の塩川河岸段丘上、標高約445m前後に位置しています。調査では、貿易陶磁器(海外から輸入された陶磁器)、国産陶磁器、石造物等の遺物から13世紀前半~18世紀中頃の宗教関連施設や寺院跡等、さらに奈良時代および平安時代の集落跡が確認されています。

深山田遺跡の青銅製鋺は蛍光X線分析の結果、銅を主成分とし、鉛、錫を含む青銅であることが確認され、その大きさは口径10.7cm、器高3.4cm、底径5.8cmの大型品と、口径7.9cm、器高3.0cm、底径4.8cm(うち一つは破片資料)の小型品があり、いずれも素文の鋳造品で、大小とも底面には、全て「十」字形の線刻がみられます。

このように、県内において遺跡からまとまって埋納あるいは保管された状態で中世の密教法具が出土する事例は極めて希であり、中世の密教の在り方を調査研究する上で、大変貴重な資料であると言えます。

〔出典: 『教育やまなし』No.217 2006(H18).12.10〕

大善寺中世墓出土陶器7点(県指定・考古資料・中世)

 大善寺陶器

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:大善寺中世墓出土陶器7点(だいぜんじちゅうせいぼしゅつどとうき)

指定年月日:平成19年4月26日

出土地:甲州市勝沼町大善寺

所有者:大善寺

概要

本資料が出土した柏尾山大善寺は、平安時代前期の創建とされ、古くは柏尾寺、柏尾山寺などと称し、本尊の薬師三尊像は重要文化財、県内最古の寺院建築である本堂(薬師堂)は国宝に指定されている有名な古刹です。

写真の資料は、四耳壺2点、瓶子3点、小壺1点、水滴1点の合計7点で、いずれも本堂周辺や参道沿いでの境内整備により、偶然発見されました。個々の出土状況は不明ですが、産地の編年から13世紀代に収まることが解っています。

このうち、四耳壺の内部から骨片が出土しており、水滴以外は使用にあたって容器の一部を打ち欠く行為が見られ、蔵骨器としての用途に供されたことが推定されます。さらに、大善寺周辺は、経塚群や中世墓群も確認されています。これは大善寺が在地豪族から庇護された大寺院であるが故に、手厚く葬ることが必然的な行為であったことをうかがわせます。

本資料は、本県の鎌倉期(13世紀代)における在地豪族の葬送や墓制を知る上で、極めて貴重な資料と言えます。

〔出典: 『教育やまなし』No.221 2007(H19).12.10〕

古柳塚古墳出土品68点(県指定・考古資料・古墳時代)

 古柳塚古墳出土品

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:古柳塚古墳出土品68点(こやなぎづかこふんしゅつどひん)

指定年月日:平成17年5月2日

出土地:笛吹市(旧八代町)

所有者:笛吹市教育委員会

概要

本資料は、大正7年(1918年)に開墾中に出土したものと伝えられ、出土ほどなく一括で写真に収められたが、行方が分からなくなり、昭和50年(1975年)発行の『八代町誌』においてその写真が収録されるにとどまっていました。

こうして本資料は、長らく所在不明のまま経過していましたが、偶然にも土地所有者の蔵に保管されていることが判明し、近年、その内容が明らかになり話題となりました。

現在、古柳塚古墳は残存していませんが、発見された出土品は、この古墳の副葬品とみられるものです。

これらの出土品には武器・馬具・装飾品等があり、いずれも古墳時代の6世紀末~7世紀初頭に位置付けられる重要な遺物です。

その中でも、写真に見られる壺鐙(つぼあぶみ)・轡(くつわ)等の馬具類は、特に際立つものです。馬具とは騎乗するために馬に付けた装着品等を指し、発見された資料は全般に高い水準の技巧が施されるなど、古柳塚古墳の位置付けを考える上でも貴重な資料です。

これらの出土品の中には、当時の最高水準の技術が見られ、奈良県藤ノ木古墳出土品に匹敵するという意見もあります。

〔出典: 『教育やまなし』No.211 2005(H17).6.10〕

 

大師東丹保遺跡・網代1点(県指定・考古資料・中世)

 大師東丹保遺跡出土網代

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:大師東丹保遺跡・網代1点(だいしひがしたんぼいせき・あじろいってん)

指定年月日:平成17年12月16日

出土地:南アルプス市大師東丹保遺跡(旧甲西町)

所有者:山梨県教育委員会

概要

本資料は、平成五年に南アルプス市(旧甲西町)において甲西バイパスの建設に伴う発掘調査により出土した、中世(鎌倉時代)の木製の建築部材です。
大師東丹保遺跡は、富士川右岸の標高二四五~二五〇mを測る甲府盆地の中でも低位の地域に位置します。発掘調査の結果、弥生時代~鎌倉時代にかけての建物跡や水田跡をはじめ、地震痕跡や古墳なども確認されています。また、出土した遺物も豊富で、古墳からは壺型形埴輪が出土しています。低湿地に立地していることから通常では残りにくい網代などの木製品が大量に発見されたのが本遺跡の大きな特徴といえます。
網代は、部分的に破損し、長辺一五〇cm、短辺九三cmを測り、幅六~九cm、厚さ二~三mmの檜板を編み込み、枠・桟・縦板等の各部材で構成されています。
中世の絵巻物等には、垣根や建物の壁に網代が多く描かれ、この網代も、同様に使用されていたと推測できます。この資料は、中世の建築様式や、建築技法を考えていく上で極めて貴重な実物であり県外からも幅広く活用されています。

〔出典: 『教育やまなし』No.215 2006(H18).6.10〕

地蔵堂塚古墳出土蕨手刀(県指定・考古資料・古墳時代)

 地蔵堂塚古墳出土蕨手刀

指定区分:県指定有形文化財(考古資料)

指定名称:地蔵堂塚古墳出土蕨手刀(じぞうづかこふんしゅつどわらびてとう)

指定年月日:平成16年5月6日

出土地:笛吹市(旧境川村)

所有者:笛吹市教育委員会

概要

蕨手刀は、把手がワラビの若芽のように巻いて屈曲している鉄刀で、主に古墳時代後期から奈良・平安時代初期まで使われた古代刀の一種です。
本資料は、大正七年頃、地蔵堂塚古墳と呼ばれていた古墳が取り壊された際、石室から発見された二十点余りの鉄刀の中に混じって確認されたもので、本資料が珍しい形態を有していたためか、大事に保管され、笛吹市(旧境川村)に寄贈されるなど、活用が図られてきました。
地蔵堂塚古墳は直径二十~三十m程度の円墳で、横穴式石室をもつものであったと考えられ、現在はわずかながらの高まりが観察されるにとどまっています。
写真の資料は、刃部が少し欠損しているものの、全長四十一cmを測り、ほぼ完形品に近い状態で保存されています。
蕨手刀は、東日本を中心に数多く発見されており、本県では、市川三郷町(旧三珠町)鳥居原狐塚古墳附近出土(東京国立博物館所蔵)の蕨手刀と、本例の2例だけの出土であり、希少な古代刀ということができ、学術的にも高い貴重な資料と言うことが出来ます。

〔出典: 『教育やまなし』No.213 2005(H17).12.10〕

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