ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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93第1章 ふるさと山梨を大観して第2章 心のふるさと富士山第3章 ふるさと山梨を見つめて第4章 私たちのまちを見つめて第5章 未来を考える資 料 編Where is this?There are many ruins of old towns from the Jomon Period in Nirasaki City. We know how people lived at this time because of old things found in the ruins. Where are these things displayed?まちを守る 韮崎市には,釜無川と塩川という二つの急勾配な一級河川があり,歴史的に見ても洪水多発地帯といえます。また,釜無川右岸を南北に走る活断層や東海地震にも注意が必要であり,自然災害が発生しやすい条件下にあります。 そこで,韮崎市は「韮崎市地域防災計画」を作成し,地域に住む人たちがともに助け合いながら,自然災害の被害を最小限に食い止めるために,地域と行政が協働で,それぞれができることを共に考え「減災力の強いまちづくり」に取り組んでいます。まちの功労者 武田信義は甲斐源氏である源清光の次男として誕生しました。13歳の時に武田八幡宮で元服すると,「武田」と名乗り,甲斐武田家の祖となりました。信義は,1180年に源頼朝が平氏を討った時,「富士川の戦い」で手柄をたて,頼朝から一目置かれるようになりました。甲斐武田家の祖 武田信義(P.40,P.41)穂坂地区に,ワイナリー,レストラン,宿泊施設などをつくる計画が進められています。かつて甲州街道の宿場町として栄えた韮崎宿の雰囲気を醸かもし出しています。企業や工場を誘致しています。のれんのあるまちづくり上ノ山・穂坂地区工業団地新府の桃づくり赤ワインの丘プロジェクトわたしたちのまちをつくる韮崎宿は江戸(日本橋)から数えて,何番目の宿場町かな。どうして穂坂のブドウがワインづくりに適しているのだろう。(See P.38,P.39)

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