ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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86甲 斐 市2004(平成16)年9月1日に3町(竜王町・敷島町・双葉町)が合併して誕生[ The comfortable city to live, with has rich green and energy ] 緑と活力あふれる生活快適都市わたしたちのまち人口74,874人 面積71.95㎢ (H27.10.1) 甲斐市は,甲府盆地の西部を流れる釜無川の左岸に広がる地域にあります。市の北部は秩ちち父ぶ多た摩ま甲か斐い国立公園に指定される豊かな森林や自然景観をもつ山間部が広がっています。南部は平坦な土地を生かした農地とともに,市街地が広がっています。 人口は1965(昭和40)年の23,352人から,40年間に3倍以上の増加をみせ,県内市町村では2番目に人口の多い市となりました。 産業は,南部では釜無川の流れがもたらした肥ひ沃よくな土壌を生かした農業が古くから営まれてきた一方,情報技術産業の集積地である「竜王赤坂ソフトパーク」が立地するほか,多くの小売店,スーパーマーケット,大型ショッピングモールなどが出店するなど,商業も盛んです。北部では,果樹栽培やワイン醸造が行われ,昇仙峡(つながりP.34)などの景勝地に多くの人々が訪れる観光地としての特性ももっています。人口が増えてきた理由はなんだろう。武田信玄が築いたといわれる「信玄堤」 甲斐市竜王地区の西側を流れる釜無川は,昔,大雨が降るたびに氾はん濫らんを起こし,甲府盆地に大きな被害をもたらしていました。当時,甲斐の国の領主だった武田信玄(つながりP.41)は,釜無川が甲府盆地へ流れ込む西端の赤坂台地麓ふもと付近に堤防を築き始めたといわれ,これが今の「信玄堤」と呼ばれる堤防の始まりとされています。十数年の年月をかけた工事の末,信玄堤は完成しました。さらに御勅使川の流れを変える工事や下流の堤防(かすみ堤)の工事などが行われました。信玄の時代ののちも,修理や工事が重ねられ今の形となっていきました。洪水を防ぐために,どのような知恵や努力が積み重ねられてきたのかな。空から見た信玄堤

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