ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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82甲 府 市2006(平成18)年に旧中道町と旧上九一色村北部が甲府市と合併して誕生[ The creative city of the future, Kofu, where people, town, and nature live together in harmony. ] 人・まち・自然が共生する未来創造都市 甲府わたしたちのまち開府500年に向けて ~歴史物語都市 「こうふ」~人口193,123人 面積212.47㎢ (H27.10.1) 甲府市の最北地域には八はち幡まん山やま,金きん峰ぷ山さん,朝あさ日ひ岳だけ等2,000mを超える峰々が東西に連なり,南には王岳,釈しゃ迦かヶが岳たけがあります。市街地は,甲府盆地の中心に位置し,おおむね平坦ですが,北に高く南に低く傾斜しています。市内を秩ちち父ぶ多た摩ま甲か斐い国立公園の主峰を源とする荒川が流れ,また国内屈指の渓谷美を誇る御み岳たけ昇しょう仙せん峡きょうや芦あし川がわ渓けい谷こくといった豊かな自然に恵まれた土地柄です。 甲府は,1519(永正16)年,武田信のぶ虎とらが躑つつじ躅ヶが崎さきの地に館を移し,城下町を開創したことに始まります。「甲斐府中」を略して「甲府」と呼ばれるようになりました。その後,江戸時代には一条小山への甲府城の築城に伴って,城下町が南側に形成されました。現在は,天守台など城の中心部分しか残っていませんが,甲府駅や山梨県庁までが城の範囲です。最近の注目は,山梨県庁の敷地から発見された「温泉」です。県議会の施設の建て替えに伴って発掘調査を行ったところ,人工的に石が積まれた浴槽のようなものが見つかりました。甲斐国の領内整備に力を尽くした城主,柳やなぎ沢さわ吉よし保やすが温泉に入っていたことを想像するのも楽しいですね。 現在,甲府城の天守閣再建については慎重に検討されています。大型の鯱しゃち瓦がわらがあったということで,大きな建築物があったと想定されていますが,発掘の成果,文献,絵画資料等がないため,天守閣があったか否かの結論は出ていないようです。平成31年には,開府500年を,平成33年には,武田信玄の生誕から500年を迎えます。この節目の年に,改めて甲府の歴史,伝統,文化を振り返り,未来を見つめていきたいと思います。 産業では,古くから農業・林業が盛んでしたが,現在では,商業・サービス業を行っている人の割合が多くなっています。しかし,現在でも,自然を生かして,とうもろこし,なす,ぶどう,もも,すもも,なし,いちごなど,多くの作物が作られています。日本一美しい渓谷と言われている「昇仙峡」,なぜ「昇仙峡」という名前がついたのかな。(つながりP.34)甲府城はどんなお城だったのかな。

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