ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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41第1章 ふるさと山梨を大観して第2章 心のふるさと富士山第3章 ふるさと山梨を見つめて第4章 私たちのまちを見つめて第5章 未来を考える資 料 編秋山三好武田武田小笠原(府中)小笠原浅利三戸南部根城南部蠣崎(松前)小笠原(鈴岡・松尾)武田伴野大井甲斐源氏の足跡がある地域(中世段階)甲斐源氏が関係した源平合戦の古戦場主な甲斐源氏一族の本拠地太田切横田河原富士川一ノ谷壇ノ浦鉢田(波志太)奥州合戦粟津甲斐源氏関係地図〈全国〉「甲斐源氏 列島を駆ける武士団」(山梨県立博物館)より作成③甲斐源氏の盛衰④その後の甲斐源氏●地域の寺社にはどのような歴史があるでしょうか。地域の方にいわれなどを聞いてみましょう。●地域の資料館や博物館で,甲斐源氏や中世の武士達の足跡を調べてみましょう。 富士川合戦での活躍や,その後の平氏との戦いの中で,独自の勢力として存在感を示した甲斐源氏は,自らを源氏の棟とう梁りょうと考える頼朝に対しても,当初は対等の立場をとっていました。しかし,頼朝の支配が確立していく中,徐々に頼朝に仕えることで繁栄していく者と,逆に頼朝に滅ぼされていく者とに分かれていきました。 その中で,甲斐源氏の本流を継ぐことになった武田信光の子孫からは,後に武田信玄が現れ,全国有数の戦国大名に成長していったのです。 鎌倉幕府成立後に,その力を弱めてしまった甲斐源氏。しかし甲斐源氏たちは,その後の日本史をたくましく生き抜いていきます。甲斐だけでなく,全国各地に広がった甲斐源氏たち。 武田信玄の活躍はもちろん,武田氏滅亡後も加賀美遠光の子,小笠原長清を祖先とする小笠原氏,南部光みつ行ゆきを祖先とし東北地方に広がった南部氏など,明治時代を迎えるまで,全国各地の大名として存続したものも少なくありません。また,小笠原氏が受け継いだ伝統の弓術・馬術・礼法などは,現代にも伝えられ,伝統的な「日本の文化」の一翼を今も担っているのです。信玄の頃には,甲斐国の各地に武田家を支える武士団が誕生しました。地域にはどのような歴史があるでしょうか。小笠原流礼法による「折形 」清和天皇甲斐源氏系図「山梨県立博物館常設展示案内」より転載義定清光光長忠頼行忠謙信信光信政信虎晴信(信玄)武田三代(小笠原流始祖)勝頼信時時綱信宗信武信長有義信義信清遠光光朝光行実長遠経光経長清長経貞宗清隆義長義成義行光義厳尊義資義光新羅三郎逸見武田加賀美秋山一条甘利板垣南部波木井於曽小笠原平井河内田井曽祢奈胡浅利八代安田義清

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