ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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128大 月 市[ A town of greenery, streams and a view to the future ・ A community of trust and cooperation ] 緑とせせらぎと未来のまち 信頼と協働のまちづくりわたしたちのまち人口25,437人 面積280.30㎢ (H27.10.1) 大月市は,古くは甲州街道の宿場町として,また養蚕・絹織物の特産地として発展してきました。しかし,1970年代になると繊維工業や中小企業は次第に衰退し,働く場を求めた人々が東京圏へ流出し始め,人口は減少を続けています。 1969(昭和44)年に中央自動車道の開通,1986(昭和61)年には東京駅直通の中央線快速電車が大月駅まで運転区間を延長するなど,首都圏への通勤・通学時間は大幅に短縮されました。 現在,大月市では,人口減少に伴う市民生活へのさまざまな影響と問題を解決するため,首都圏からのアクセスのよさを生かして工場・企業等の誘致や,恵まれた自然観光資源を活用した産業振興に力を入れるとともに,「信頼と協働のまちづくり」を基本理念として,行政は「信頼される行政」を,市民は郷土への愛着と誇りをもち,自主的にまちづくりに「参加する市民」を目ざし取り組んでいます。 国道20号線沿いには,一里塚跡や道標など甲州街道の名残が見られます。また,宿場が置かれた町には,2階に欄干を設けた旅籠建築様式の建物を見ることができます。 猿橋は桂川の両岸が崖になっていて,水面から30mあまりもある高い位置にかけられています。このため橋脚を建てることができず,両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支えています。その特殊な構造により日本三奇橋の一つとして古くから有名で,江戸時代には歌うた川がわ広ひろ重しげの「甲こう陽よう猿さる橋はし之の図ず」や十じっ返ぺん舎しゃ一いっ九くの「諸しょ国こく道どう中ちゅう金かね之の草わらじ鞋」などに描かれています。 また,猿橋は橋と周囲の自然景観との調和が見事なことから昭和7(1932)年に国の名勝に指定されました。(つながりP.76)日本三奇橋「猿橋」今も残る江戸時代の面影「猿橋」の名前の由来はなんだろう。下花咲宿本陣(国指定重要文化財 星野家住宅)

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