ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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126富士河口湖町2003(平成15)年に3町村(河口湖町・勝山村・足和田村)が合併して誕生,2006(平成18)年に上九一色村の南部が合併[ Lakes, plateaus and Mt Fuji ~Japan’s lake region~ ] 富士山と湖と高原のまち 〜日本の湖水地方〜わたしたちのまち人口26,528人 面積158.40㎢ (H27.10.1) 富士河口湖町は,富士山の北麓にあり,御坂山地に囲まれ,富士五湖の五つの湖のうち,河口湖,西湖,精進湖,本栖湖があります。 標高は河口湖畔の831mが最も低く,富士山二合目の1,750mまで起伏に富んだ地形をもっています。 町の南西部には青木ヶ原樹海が広がり30k㎡にも及びます。青木ヶ原樹海は,平安時代の「貞じょう観がんの噴火」の際に富士山の北西の側火山から流出した溶岩の上に,年月をかけて木々が生え森となったもので,国の天然記念物に指定されています。この「貞観の噴火」によって剗せノの海うみという大きな湖が溶岩流で分断されて,西湖と精進湖になりました。(つながりP.34) 山梨県内の町としては人口が最も多く,富士山と富士五湖の自然環境に恵まれていることから観光業が主な産業であり,機械生産などの工場も多くみられます。西湖,精進湖,本栖湖の湖面の高さは900mで同じだそうだね。なぜ同じなのかな。 710年に平城京(奈良県)に都がつくられた頃と,全国の国々(現在の都道府県のような単位)に通じる道がつくられました。甲斐国は,東海道に所属して都とつながっていました。東海道は太平洋にそってつくられ,甲斐国には本道が通っておらず,横よこ走はしり駅(現在の静岡県駿すん東とう郡ぐん小お山やま町ちょう)から分かれた「甲斐路」という道がつくられていました。この道は,籠かご坂さか峠,御み坂さか峠を越えて甲府盆地にある甲斐国府に通じていました。富士河口湖町河口の鯉こいノの水みず遺跡では,発掘調査によって山梨県内で初めて「甲斐路」の道路跡が発見されました。(つながりP.50,P.51)甲斐国と都をつなぐ道鯉ノ水遺跡の甲斐路跡

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