ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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123第1章 ふるさと山梨を大観して第2章 心のふるさと富士山第3章 ふるさと山梨を見つめて第4章 私たちのまちを見つめて第5章 未来を考える資 料 編まちを守る 1923(大正12)年9月に発生した関東大震災では,村内の7割が被災し,村道や橋きょう梁りょうが損壊したことで交通が分断されるなど,大きな被害を受けました。さらに,地震後の豪雨による出しゅっ水すいは,二次災害として被害をより深刻なものにしました。 また,観光地・避暑地であることから,年間の村内人口の変化が他の市町村と比べ著しいという特徴をもっています。 村ではこうした過去の被災教訓と村の特徴を生かした独自の「地域防災計画」を策定し,村民と訪村者の安全確保に努めています。 山中湖村はその立地から,大正時代以降避暑地として開発が進み,別荘地・観光地として歩み出します。2013(平成25)年には80万人を超える人が村を訪れました。こうした環境から,村内では観光業が盛んであり,現在でも約25%の人が観光業に従事しています。 2013(平成25)年6月22日,山中湖は富士山の構成資産の一つとして世界遺産に登録されました。これをきっかけに,外国人観光客の訪村が増えたことから,ガイドブックや案内看板,メニュー等,多言語による案内を進めています。What is it?Marimo was found in Lake Yamanaka in 1956. It was named “ Fuji-Marimo”. Now it is designated a natural monument.当時の災害事務書類綴世界遺産認定書まちの功労者 明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト・歴史家・思想家である蘇峰は,1932~1945(昭和7~同20)年まで毎夏,山中湖畔の別荘を訪れ執筆活動を行いました。村を愛した蘇峰は,富士山に旭きょっ光こうがさし,山中湖に反射する様子の美しさをたたえ,別荘の建つ地を「旭日丘」と名付けました。「旭あさ日ひが丘おか」の名付け親 徳とく富とみ蘇そ峰ほう  わたしたちのまちをつくる山中湖村に避暑のため観光客が多く訪れるのはなぜだろう。冬の山中湖名物で,釣って楽しく,食べて美味しい魚といえば…特産物の揃う売店貸しボートで賑わう山中湖

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