ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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122山中湖村1965(昭和40)年1月1日にそれまでの中野村を改称して誕生[ People and People, People and Nature, Hopes and Hopes ・ to Yamanakako Town, connecting them all ] 人と人,人と自然,思いと思いがつながる山中湖村へわたしたちのまち人口5,210人 面積52.81㎢ (H27.10.1) 山中湖村は,県の南東部に位置し,標高が1,000m前後と高いことから,夏は比較的涼しく,湿度の低い気候です。また,山中湖から流れ出す水は桂かつら川がわの源流であり,相さがみ模川がわに名前を変えて神奈川県民の水源となっています。 村の中心には世界文化遺産富士山の構成資産の一つ山中湖が広がります。湖と村を囲むように大おお平ひら山やま・石いし割わり山やま・三み国くに山やまがつらなり,その間を山やま伏ぶし峠とうげ・籠かご坂さか峠とうげが走り,山麓斜面には別荘地が展開しています。 産業は,第3次産業といわれる観光産業への従事者が,他の産業に比べ圧倒的に多くなっています。また第1次産業としては,特産品のブドウ栽培を振興しており,その生産量は増加傾向にあります。「ダイヤモンド富士」が見られるのは何月ごろかな。日の出かな,日没かな。 口くち留どめ番ばん所しょとは,江戸時代に交通の要所に設けられた小さな関所です。村内には湖の南側に沿って旧鎌倉街道が通っていたことから,籠坂峠を通り駿するが河・伊い豆ず・相模へ通じる山中と,三国峠を経て甲か斐い・駿河・相模へ向かう平野の二ヵ所に口留番所が置かれ,通過する人や荷物の監視・警備,輸送税の徴収が行われていました。 口留番所址あとの他,主な文化財には県指定有形文化財の「星ほし曼まん荼だ羅ら」・「武たけ田だ家け印いん判ぱん状じょう」・「富ふ士じ講こう鯉こい奉ほう納のう碑ひ」,平ひら野の天てん満まん宮ぐう神かぐら楽保存会による無形民俗文化財「平野の天あまの岩いわ戸と神かぐら楽」など,19件(2015年末現在)あります。江戸時代,交通の要なぜ,通過する人や荷物を厳しく監視をしたのかな。山中口留番所址

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