ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
122/164

120忍 野 村[ Beautiful Town, Kind People ] 美しいむら,人にやさしいむらわたしたちのまち人口8,974人 面積25.05㎢ (H27.10.1) 忍野村は富士北麓に広がる高原の村です。南に富士山,北に杓しゃく子し山やまといった山々に囲まれ,東西に桂川と新しん名な庄しょう川がわの二つの川が流れています。村内は内野地区と忍しぼ草くさ地区に分かれており,忍野八海などの観光地としても有名です。標高936mの高原地帯にあるため,米作りのほかに,高原野菜が作られ,各地に送られています。また近年では,忍野村の自然や交通の便を生かし,産業用ロボットや電子機器,プラスチック,水などの工場が増えています。 忍野村は,昔,忍野湖とよばれる湖だったといわれています。湖はほとんどが埋まってしまい,いくつかの泉が残りました。高冷地で作物が育ちにくいこの地域は,洪水や冷害に苦しみ,江戸時代には天てん保ぽうの大飢き饉きんと疫えき病びょうの流行により多くの死者を出しました。少しでも生活を豊かにしようと,これらの泉(忍野八海)に八はち大だい竜りゅう王おうを祀まつり,石碑を立てて道路を整備したことで,忍野八海には多くの人々が訪れるようになり,村は復興していきました。忍野八海は,富士山信仰に関わる世界文化遺産の構成資産となっており,今も国内外から多くの観光客を迎えています。 忍野村は,長らく米作りに不向きな村でした。内野地区は,少しでも米を作りたいという強い願いから,明治4年,渡辺弥や兵へ衛えを中心に山中湖から水を引く用水工事が始まりました。「石のみ」だけで溶岩を掘り抜く難工事でしたが,24年の歳月を経て,弥兵衛の息子である貞てい治じが,村人の協力のもとに完成させました。 一方,忍しぼ草くさ地区は,水はけが悪く,しかも寒さのため,米はほとんど収穫できませんでした。そこで渡辺武ぶ一いち郎ろうは,水路を開いて湿地を整備し,寒さに強い稲の品種を探し,新しく水田を開きました。その結果,多くの米を収穫することができるようになり,村をあげて開田を進めました。富士講と忍野八海高冷地を拓く(内野用水,忍草の開田)湖がどうして埋まってしまったのかな。

元のページ  ../index.html#122

このブックを見る