ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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119第1章 ふるさと山梨を大観して第2章 心のふるさと富士山第3章 ふるさと山梨を見つめて第4章 私たちのまちを見つめて第5章 未来を考える資 料 編ゆたかなまち・住みたくなるまち・訪れたくなるまちを目ざしてわたしたちのまちをつくるまちを守る〜森林を保全する〈水害を防ぐ努力〉先人に学ぼう〜 1902(明治35)年,下暮地で水害が起こりました。前まえ田だ芳よし太た郎ろう(1866〜1946)はこれを機に植林を生涯の事業と決意し,翌年,三ツ峠の県有地を借りて共同植林を行いました。また,県営苗畑を設置し,苗木の育成にも努め,郡内の諸山に植林をすすめました。 1907(明治40)年には,山林保護同盟を組織,山林所有者も植林に協力することとなり,三ツ峠山麓一帯は「山梨の吉野」といわれる郡内一の大美林となりました。What is this?This is called the “Byoubu stone” because it looks like a byoubu (folding screen). The stone is several hundred meters long.まちの功労者地域の教育に力を尽くし,時代を開く事業を起こした槙まき田た斯し興こう 1830(天保1)-1899(明治22)年。小沼の人。漢学に通じ詩文をよくし,谷村興こう譲じょう館かん(現在の都留興譲館高校の校名の由来となる)の第2代教授となり,さらに盍こう簪しん学校を邸内に設けて子弟を教えました。絹きぬ綾あや織物組合をおこし,谷村に金融機関饒じょう益えき社しゃを設け,猿橋と谷村を連絡する電信を架設して谷村電報局をはじめました。谷村興譲館が置かれた谷村陣屋跡(都留市)伝統の織物や豊かな水を活用して,どのような新製品が開発できるかな。自然や文化を生かしたまちづくりをどのようにすすめていけばよいかな。織物製品の展示会(都内のデパートで)自然の深さが表れる秋の景観(山やま祇づみ神社)豊かにわき出す水(小沼地区・浅間神社)新開発の商品ミネラルウォーター西桂中学校林のウッドガード

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