ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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108身 延 町2004(平成16)年に3町(下部町・中富町・身延町)が合併して誕生[ An open town of peace and energy ] 安らぎと 活力ある ひらかれたまちわたしたちのまち人口12,673人 面積301.98㎢ (H27.10.1) 身延町は,日本三大急流の一つである富士川を挟み,東西に急峻な山岳地帯が連なっており,東部には富士五湖の一つである本栖湖があります。 また,富士川右岸の山中からはおよそ700万年前の貝化石が砂岩層から見つかっており,かつて,この地は海であったことがわかっています。 産業は古くから農林業を基幹としてきました。また,多くの参詣者が訪れる身延山と下部温泉郷等の観光地があることから,商業・サービス業が発展し,さらに工業団地への企業誘致により雇用の場を拡大してきました。今後は,中部横断自動車道等の交通網が整備され町外への通勤就労者が増えていくことが見込まれます。千円札に描かれている富士山は,身延町から見たものなんだって。どこからかな。 身延山久く遠おん寺じは,鎌倉時代に波は木き井い実さね長ながが日にち蓮れん聖人を身延に招き草庵を建てたことに始まり,室町時代には現在の場所に伽が藍らんが移され発展してきました。明治初期の火災で多くのお堂や文化財が焼けてしまいましたが,総門や開基堂,七しち面めん山ざん本堂など江戸時代の建造物も残っており,2009(平成21)年に復元された五重塔はシダレザクラとともに名所となっています。 「信玄の隠し湯」として伝承されている下部温泉の起源はさらに古く,日蓮聖人が生存する頃から湯治の習慣があったこともわかっています。下部温泉の奥にある湯ゆ之の奥おく集落には,国指定重要文化財の門もん西ざい家け住宅があり,さらに奥の毛け無なし山やま山中には国指定史跡の中山金山があります。 武田信玄の時代に,望月清せい兵べ衛えが和紙を献上したところ,大いに賞賛され「西にし未ひつじの印いん」を与えられました。それにより,西にし嶋じま和紙は生産・流通が盛んになり,重要な産業となりました。現在では手漉すきだけではなく機械漉きも行われていて,さまざまな製品が開発されています。手漉きの和紙製造用具は,「西未印」とともに県指定文化財に指定されています。日蓮聖人の所ゆかり縁の地西嶋和紙の作り方を知りたいな。どんな工夫をしているのかな。

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