ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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106早 川 町1956(昭和31)年に6か村が合併して誕生[ The town which protects life, history and culture ] 暮らし,自然,歴史,文化が守られていくまちわたしたちのまち人口1,070人 面積369.96㎢ (H27.10.1) 早川町は県の西端に位置し,北は南アルプス白根三山の間あいノ岳だけ,南は霊峰七しち面めん山ざん等の山岳が連なっています。町の中央を北から南に流れる早川に小支流が注いでおり,その川沿いと山の中腹に南北25㎞,東西15㎞にわたり36の集落が点在する山間の自然豊かな町です。面積は県内では2番目に大きく,その内95.3%を山林が占めています。 人口は,1956(昭和31)年の合併当時8,116人,世帯数1,588世帯でしたが,過疎化の激しい波にさらされ,平成27年の国勢調査時は人口1,070人,世帯数573世帯と激減しました。平成の合併以降は全国一人口の少ない町になってしまいましたが,早川町創生総合戦略・人口ビジョンを策定し,目標に向けて取り組んでいます。 産業は,農業(養蚕・畜産)・林業が盛んでしたが,外国産の影響で衰退し,現在では温泉等のサービス業に変わってきています。また,中部横断道や県道の南アルプス市へのトンネルの開通工事,南アルプスユネスコエコパーク登録等により産業形態も変わろうとしています。 早川町赤沢は,江戸時代の頃から日蓮宗身延山と霊峰七面山を結ぶ身延往還の宿場として栄えていたところです。現存する伝統的な家屋は18世紀後半から明治・大正期にかけて建てられ,その約7割が主屋で,平屋建て小屋組構造に古式を残し,かつては板いた葺ぶき屋根の集落でした。 明治初期には9軒の旅はたご籠屋がありましたが,旅館型主屋に変わり,通りに面した土間廊下側にマネギ板と呼ぶ講中札が下がり,当時の面影を残しています。平成5年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され,町並み保存に努めています。(つながりP.49) 早川町奈良田は町の北部に位置し,「陸の孤島,民俗学の宝庫」とも呼ばれた集落で,第46代孝こう謙けん天皇がこの地に8年間御遷せん居きょされたという伝説もあり,「奈良田七不思議」に当時の事が記されています。集落はかつて平屋の板葺石置き民家で,焼畑農耕が盛んに行われ,言語は独特な関西系のアクセントを使い,民謡(奈良田麦付唄等)や民みん踊ようもたくさん残されています。また,多くの著名人が訪れ,詩人では大おお町まち桂けい月げつ・田た中なか冬ふゆ二じ・飯いい田だ蛇だ笏こつ等が文学碑を残しています。講中宿「早川町赤沢」早川町には,「まんのうがん」,「ゆうげぇし」という言葉があるそうです。どんな意味かな。奈良田集落赤沢集落

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