ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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102市川三郷町2005(平成17)年に3町(六郷町・市川大門町・三珠町)が合併して誕生[ Drive for making peace and the best town to live in ] やすらぎづくり 日本一の暮らしやすさを目ざしてわたしたちのまち人口15,663人 面積75.18㎢ (H27.10.1) 市川三郷町は,甲府盆地の南西に位置し,雄大な富士川の清流と美しい自然に恵まれた町です。平坦地と中山間地は町の北部を中心として存在し,南部は広く山々に囲まれ,森林の占める割合が64.2%と高くなっています。 2005(平成17)年合併時に18,795人だった人口は,10周年を迎えた2015(平成27)年には15,663人となり,年々減少しています。 産業では,花火・手漉すき和紙・はんこなど,職人たちによって受け継がれてきた技が,地域を支えています。今後は中部横断自動車道などの交通網が整備されることから,更なる町の発展が期待されます。 甲斐源氏の祖と称される源みなもとの義よし清きよは,常ひたちの陸国くにの中部,武田郷(現在の茨城県ひたちなか市武田地区)で朝廷から甲斐の国(現在の山梨県)への流る罪ざいに処され,この平塩の地に居を構えたと伝えられています。「武田」姓は義清が武たけ田だ冠か者じゃ義清と称し始まったという説,ともに配流された義清の子の清きよ光みつが平塩の地に土着してから「武田」姓が始まったとする説など諸説があります。いずれにしても「甲斐の武田」の名を後世に残していったことから,義清・清光父子が非凡な武将であったことは想像に難かたくありません。(つながりP.40,P.41) 1894(明治27)年,甲府盆地南西部 曽根丘陵の一角にあたる大塚地区の鳥とり居い原ばら狐きつね塚づか古墳から,「赤せき烏う元年」と記され,周囲に神獣の文様のある「神獣鏡」が発見されました。3世紀頃の大陸と日本の関係を考えるうえでも,きわめて貴重といえるこの鏡は国の重要文化財に指定され,現在,市川三郷町の一宮浅間神社から東京国立博物館に寄託されています。甲斐源氏の礎を開いた旧跡神しん 獣じゅう 鏡きょう伝統工芸はどのように誕生し,受けつがれてきたのだろう。この「鏡」からなぜ,大陸と関係があったと考えられるのかしら。甲斐源氏旧跡

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