ふるさと山梨-小学校版-(デジタルブック版)
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71第4章第5章資料編第1章第2章第3章●山梨ゆかりの作家わたしたちのふるさと 山梨を愛あいした作家たち芥あくた川がわ龍りゅう之の介すけ太だ宰ざい治おさむ飯いい田だ蛇だ笏こつ村むら岡おか花はな子こ1892~1927 東京都生まれ 小説家1909~1948 青森県生まれ 小説家1885~1962 山梨県笛ふえ吹ふき市し境さかい川がわ町ちょう生まれ 俳はい人じん1893~1968 山梨県甲こう府ふ市し生まれ 児童文学者…お釈しゃ迦か様さまは地じ獄ごくの様子を御ご覧らんになりながら,この犍かん陀だ多たには蜘く蛛もを助けた事があるのをお思い出しになりました。そうしてそれだけの善よい事をした報むくいには,出来るなら,この男を地じ獄ごくから救すくい出してやろうとお考えになりました。(出典「芥川龍之介全集2」より一部表記を改めた)…私わたしは,信じられている。私の命なぞは,問題ではない。死んでお詫わび,などと気のいい事は言っていられぬ。私は,信しん頼らいに報むくいなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。…(出典「太宰治全集3」より一部表記を改めた)…あたし,いつも自分の名前はコーデリアだって想そう像ぞうしてきたんです。でも,アンとよぶんでしたら,eのついたつづりのアンでよんでください。… (出典『赤毛のアン』)くろがねの秋の風ふう鈴りん鳴りにけりをりとりてはらりとおもきすすきかな みなさんもよく知っている物語「蜘く蛛もの糸」の一いっ節せつです。この物語を書いたのが芥川龍之介。ほかにも「杜と子し春しゅん」「トロッコ」などの子ども向けの物語を書いています。龍之介は,少年時代に何度か山梨県を訪おとずれ,甲州ぶどうを食べ,山梨の自し然ぜんを愛しました。また,飯田蛇だ笏こつの俳はい句くが好きだった龍之介は,蛇笏と手紙のやりとりをしていました。 中学校の教科書に載のっている「走れメロス」。 小学校の図書館にもありますね。作者の太宰治さんは,山梨の御坂峠の天てん下か茶ぢゃ屋やで過すごしたひとときを小説にして「富嶽百景」を書きました。また,昭しょう和わ14年には甲こう府ふの石いし原はら美み知ち子こさんと結けっ婚こんし,新しん居きょを構かまえました。空くう襲しゅうで焼やけてしまいましたが,現在は新居があった甲府市朝日に「太宰治僑きょう居きょ跡あと」の石せき碑ひがあります。 「赤毛のアン」を日本で最さい初しょに翻ほん訳やくし,刊かん行こうしたのが村岡花子です。村岡は東京の女学校を卒そつ業ぎょう後,山梨英えい和わ女学校の英語の先生になりました。その後,童話を書きながら,NHKの子ども向けニュース番組に出しゅつ演えんし,「ラジオのおばさん」としても親しまれました。「赤毛のアン」シリーズのほか,たくさんの児じ童どう文学を翻訳し,日本の子どもたちに紹介しました。 現げん在ざいの笛吹市境川町に生まれた飯田蛇笏は,大学生のころ多くの歌人,俳人,詩人と交流しました。その後,ふるさとの境川で生活し,俳句の雑ざっ誌し「雲うん母も」を発行して,多くの門人を育てました。正まさ岡おか子し規き,高たか浜はま虚きょ子しと並ならぶ近代の俳人として,すぐれた作品を残しました。P68で紹しょう介かいされている飯田龍りゅう太たの父でもあります。お姉ちゃんの高校の教科書には,龍之介さんの「羅ら生しょう門もん」という小しょう説せつが載のっているんだって。県立文学館には,芥川龍之介さんとの交流を示す手紙が展てん示じされています。「富士には月見草がよく似に合あふ(う)」(「富ふ嶽がく百ひゃっ景けい」)の文学碑ひが,御み坂さか峠とうげにあります。太宰治は,小説の中で,どのように山梨を描えがいているのでしょうか。(「生誕100年記念 芥川龍之介展」より転載 写真:日本近代文学館蔵)(写真提供:山梨県立文学館)(写真提供:赤毛のアン記念館・村岡花子文庫)(「開館記念展 山梨の文学」より転載 写真:日本近代文学館蔵)

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