ふるさと山梨-小学校版-(デジタルブック版)
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56明めい治じ時代1868年〜 1873(明治6)年,山梨県の第5代県けん令れい(今の知事)となった藤ふじ村むら紫し朗ろうは,殖しょく産さん興こう業ぎょうに力を入れ,山梨県の近代化をおし進めました。教育にも力を入れ,「藤ふじ村むら式しき建けん築ちく」とよばれる西洋風の校こう舎しゃがいくつも建たてられました。 藤村紫朗は,産さん業ぎょうにも力を注ぎ,甲府の中心地(今の甲府市中央2丁目)に,「山梨県勧かん業ぎょう製せい糸し場じょう」を設せつ立りつし,生き糸いとの生産を進めました。 1903(明治36)年6月,鉄道(今の中央本線)が八はち王おう子じから甲府まで開かい通つうしました。これによって,甲府と東京までの間が約やく6〜7時間で結むすばれました。●文ぶん明めい開かい化かと山梨富とみ岡おか製糸場のような製糸場が甲府にもあったんだね。鉄道が開通するまでは,東京に行くのに,どのくらいの時間がかかっていたんだろう?山梨県甲府勧業場之図 (山梨県立博物館蔵)旧きゅう津つ金がね学校(今の所在地:北ほく杜と市し)旧きゅう㫪つき米よね学校(今の所在地:富ふ士じ川かわ町ちょう)旧きゅう室むろ伏ふし学校(今の所在地:山やま梨なし市し)旧きゅう尾お県がた学校(今の所在地:都つ留る市し)旧きゅう睦むつ沢ざわ学校(今の所在地:甲こう府ふ市し)甲府~八王子間の鉄道開通を祝いわうアーチ (山梨県立博物館蔵)

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