ふるさと山梨-小学校版-(デジタルブック版)
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55第4章第5章資料編第1章第2章第3章江え戸ど時代1603年〜 甲かいの斐国くには,江え戸ど時代の多くの期間,幕ばく府ふが治おさめる地ち域いきでした。18世紀前半に,柳やなぎ沢さわ吉よし保やす・吉よし里さとの親子が甲府の城じょう主しゅになった頃ころ,甲府の城じょう下か町まちが発はっ達たつしました。江戸の人気浮うき世よ絵え師しである歌うた川がわ広ひろ重しげをまねいて,大通りを幕まく絵えでかざる甲こう府ふ道どう祖そ神じん祭さいが行われました。 また,俳はい人じんの松まつ尾お芭ば蕉しょうは谷や村むら(今の都つ留る市し)にまねかれ,俳はい句くをよみました。 甲こう州しゅう街道や富ふ士じ川かわ舟運などが整せい備びされ,いろいろな品物がやりとりされるようになりました。甲州街道を使って「八はっ珍ちん果か」といわれるくだものなどやそれらを材ざい料りょうにした菓か子しが江戸へと運ばれました。富士川舟運では年ねん貢ぐ米まいや塩しおが運ばれ,また,中なか道みち往おう還かんではマグロなどの新しん鮮せんな魚が駿する河が湾わんから甲斐国まで届とどけられました。(つながりP.28, P.60, P.61)●街かい道どうと舟しゅう運うんで各かく地ちとつながる山梨甲府道祖神祭幕絵 東とう都と名めい所しょ目め黒ぐろ不ふ動どう之の瀧たき 歌川広重 (山梨県立博物館蔵)鰍かじか澤ざわ町ノ乗船場(山梨県立博物館蔵)※写真は明治後期〜大正時代の様子甲州八珍果甲府の城下町では,芝しば居い小屋ができたり,歌か舞ぶ伎きや相すもう撲,人にん形ぎょう浄じょう瑠る璃りが楽しめたそうです。山梨は,昔から,くだものが特とく産さんだったんだ!

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