50年のあゆみ
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私は、昭和62年4月から平成元年3月までの2年間、派遣教官として勤めさせていただきました。 当時、消防学校は、学校長・教頭・教官6名と庶務2名の計10名のスタッフで学校運営に携わっていました。 今ここで、29年前の当時を振り返りますと、色々なことが思い出されますが、まず着任当初は、現場一筋だった私に消防学校という専門的な基礎教育機関において、自分の職責を全うできるか不安の毎日を送っていました。そんな中、自分らしい授業とは、災害現場で培った経験を基に決して背伸びせず、学生と同じ目線に立ち、時には厳しく、時には優しく、同じ目的意識を持つことで、学校教育に対し平常心で物事に当ることができると思いました。 教育課程が始まる前に、各教官に担当科目の割り振りがあり、初任科においては消防実務・安全管理・火災防ぎょ・救助関係、消防団教育では火災防ぎょ・小型ポンプ操法などが担当になりました。 1年目は、大変でした。学校という 慣れない環境で、初めて触るワープロを相手に、必死に担当科目の準備に追われ、夜遅くまで勉強し、頭痛に襲われたことも度々ありました。 ここで、特に思い出深い初任科は、毎日実技訓練の最後は体力錬成、いつもグラウンド20周の駆け足をしました。体力のある者、ない者、全身汗だらけになり、助け合い、励ましながら全員が1つになり、最後まで走り抜いたことを思い出します。 今思えば、消防学校の数々の経験が、その後の消防人生に役立ったと思います。 結びに、今後ますます消防学校の発展を祈念いたします。 昭和62年度初任教育学生の入校式にて 筆者は前列左から3人目 50周年に寄せて 元教官 元甲府地区消防本部 太田 政文 寄稿文 ‐42‐

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