50年のあゆみ
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山梨県消防学校が節目である50周年を迎えることに、心よりお祝い申し上げます。 私は、昭和49年度から平成13年度までの28年間消防学校に勤務しました。 当時の社会情勢は、昭和39年に開催されたスポーツの祭典「東京オリンピック」に向けて、高速道路や東海道新幹線などの交通網が整備されるとともに、社会経済の著しい発展に伴い消防需要が増大したことにより、「広域消防本部」の設置と消防職員及び消防団員の教育機関として「消防学校」の設置が都道府県に義務付けられました。 山梨県消防学校は、甲府市住吉にあ った県職員研修所の敷地内に寮室を建て、事務室と教場は研修所の2階を使いました。訓練は、校庭が狭いため、時には道路も使うことがありました。 昭和40年代の消防学校は、初任教育の期間が2箇月から3箇月と短く、年に数回教育訓練を行ったこともありました。特に、昭和46年から昭和49年までは、広域消防の職員採用が最盛期であり、入校できない職員を消 防本部が独自に教育したことや、近隣の県で教育を受けた時期もありました。 在職した28年間で印象深いことは、昭和50年8月の旧消防学校の竣工式、昭和57年及び昭和58年と2年連続の台風被害により、グラウンドが被災者を救援するヘリコプターで埋め尽くされたこと。また、教育訓練において、初任教育の期間を国の基準に準拠した6箇月に改めたことや、救急Ⅱ課程をはじめ救急教育を充実させたことは今も懐かしい思い出です。 近年は、大規模地震や台風、集中豪雨などの自然災害が猛威をふるい、各地に甚大な被害が発生しています。また、今後は、首都直下型地震や南海トラフ巨大地震の発生が危惧されており、消防機関に対する県民の期待はますます大きくなっております。 消防学校は、県民の安全・安心を守る消防職員及び消防団員の教育を担う大きな使命があることに誇りを持ち、更に教育訓練に精励されますことを期待するとともに、山梨消防の発展を心より御記念申し上げます。 50周年によせて 元教頭 小池 満男 入校式を進行する筆者 初任学生に辞令を交付する筆者 寄稿文 ‐41‐ 山梨県消防学校50周年記念誌

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