山梨どこでも富士山(デジタルブック版)
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吉田口登山道 MAP-D北口本宮冨士浅間神社 MAP-C特別名勝、史跡特別名勝、史跡特別名勝、史跡史跡本殿は重要文化財史跡史跡史跡史跡史跡名勝、天然記念物名勝名     称国指定文化財の種別※静岡県の構成資産/構成要素 一覧表富士山本宮浅間大社 山宮浅間神社 村山浅間神社 須山浅間神社 冨士浅間神社(須走浅間神社) 人穴富士講遺跡 白糸ノ滝 三保松原 大宮・村山口登山道(現在の富士宮口登山道)須山口登山道(現在の御殿場口登山道)須走口登山道すばしりぐちとざんどうおおみや・むらやまぐちとざんどうふじのみやぐちとざんどうすやまぐちとざんどうごてんばぐちとざんどうふじさんほんぐうせんげんたいしゃやまみやせんげんじんじゃむらやませんげんじんじゃすやませんげんじんじゃふじせんげんじんじゃ すばしりせんげんじんじゃひとあなふじこういせきしらいとのたきみほのまつばら富士山│信仰の対象と 芸術の源泉 神聖で荘厳な姿の富士山は、山域から山頂への登拝及び山麓の霊地への巡礼を通じて、富士山を居処とする神仏の霊力を獲得し、自らの擬死再生を求めるという独特の性質を持つ富士山信仰を育み、また、海外の芸術家にも影響を与えた浮世絵など、多くの芸術作品に取り上げられてきました。 この信仰の対象・芸術の源泉である富士山は、世界でも高く評価され、第37回世界文化遺産委員会において世界遺産(文化遺産)に登録されました。(平成25年6月) 古より数多くの信仰と芸術を生み出した富士山に関わる文化財には、その山体だけでなく、周囲にある神社や登山道、風穴、溶岩樹型、湖沼などがあります。これらの文化財は、富士山の価値を構成する資産(構成資産/構成要素)として現在まで受け継がれてきました。ここでは世界文化遺産としてふさわしい価値を有している富士山の構成資産/構成要素について紹介します。北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す登山道。14世紀後半には参詣の道者のための宿坊も出来始め、大勢の人々が登るための設備が整うようになりました。富士講隆盛の礎を築いた食行身禄が、信者の登山本道をこの吉田口と定めたため、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、最も多くの人々によって利用されています。浅間大神が祀られていた遥拝所を起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていました。富士講とのつながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成されました。9世紀後半に起こった噴火を契機に、北麓側に初めて建立された浅間神社であると伝えられています。浅間神社を中心とした河口の地は、富士登拝が大衆化した中世後半から江戸時代まで御師集落として発展を遂げました。現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っています。河口浅間神社 MAP-E構成資産とは富士山信仰 古より日本人は、噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、噴火を鎮めるために富士山の麓に浅間神社を建立しました。 噴火活動が沈静化する平安時代後期になると富士山は、日本古来の山岳信仰と密教等が習合した「修験道」の道場となりました。 12世紀前半に活躍した修行僧の末代上人は、山頂に大日寺を築きました。室町時代後半には、修験者とともに一般庶民も登拝するようになり、戦国時代に現れた長谷川角行が新たな富士山信仰を教義としてまとめたとされています。 角行の教えは弟子へと引き継がれ、江戸時代中期には「富士講」として関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や富士五湖等の霊地への巡礼を行うようになりました。 明治になると女性の山頂登山も解禁となり、また鉄道や道路網の発達により多くの登山者が山頂を目指すようになりました。おそいにしえまつだいしょうにんは せ が わ かくぎょうふ じ こ ういにしえ2

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